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14|グラスの歴史 日本のグラス製造その7

皆さん、こんにちは!

前週の土曜日曜は、木本硝子のある地元の鳥越神社の祭りでした、コロナで中止休止縮小の3年間でしたが、今年は4年ぶりに都内最大といわれる千貫神輿をみんなで争うように担ぎ、祭りは最高に盛り上がりました。

町内を流れるお囃子の音色と、神輿の担ぎ手の元気の掛け声と鳥越一本締めと、街に木本硝子に元気が戻ってきました。

 

 

明治6年(1873)、三条実美太政大臣の家臣・村井三四之助が家令の丹羽正庸とともに、 東京・品川の目黒川のほとりにガラス製造の「興業社」を創立した。これが、日本で初の西 洋式ガラス製造工場(ほぼ現在の製法・工場と同じタイプ)で、機械、器具をはじめとして坩堝の粘土、築炉用の耐火煉瓦など、主要な材料は英国から取り寄せ、技術指導員として同じ英国からトーマス・ウオルトンを招き、 坩堝造りから始まった。工員は東京や大阪のガラス職人を高給で雇い入れ、坩堝の完成を待って板ガラスの製造を計画したが、完全な製品を製造するまでには至らなかった。

 

江戸時代から明治の時代に代わって、国は富国強兵・殖産興業に力を入れ、日本国の発展を進めていきました。明治9年(1876)4月、 経営不振に陥っていた興業社を買収して、官営の「品川硝子製作所」として創立し、翌10年(1877)官制改正により「品川工作分局」にお改称し、11月には操業を開始した。

最初の製品は舷灯用の紅色ガラスで、佐賀藩のガラス工場から来た藤山種広が製造を担当した。明治12年(1879)4月には食器、その他日用品のガラス器の製造を始め、12月には化学実験所を設けて鉛丹と炭酸カリウム製造から、クリスタルグラスの製造も始め、翌年5月から販売するようになった。明治15年5月には英国の技師エマニュエル・ホープトマンを雇用、イギリスの切子加工の技術が日本人に伝えられた。

 

 明治初期の江戸切子(不詳)

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