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15|グラスの歴史 日本のグラス製造その8

明治時代に入り、産業育成と国力強化のため各地に官製の工場が作られ、海外から技術の導入や技術者を呼び寄せて、近代国家、近代産業へと日本全体が変革していきました。

 

硝子産業についても、明治9年に官営の品川硝子製造所が作られ、近代技術を入れ、新しいガラスなどを作り出していたが、経営的には民間の硝子工場との価格競争に敗れ、明治18(1885)には、タダ同然で民間に払い下げることになりました。

 

払下げを受けた西村勝三氏は、渡欧して各国の硝子工場を視察し、ドイツのシーメンス式製壜工場の製造法に感銘し、技術者をドイツに派遣し窯とガラス製法を習得させ、ドイツから吹き込み型や機械を買い求め、1889年にはルツボ10本の窯でビール瓶の製造を始めた、それまでは麦酒メーカーが居酒屋に貼ってあるポスターに見られるように、陶器製の瓶にビールを入れて販売されていた、明治の時代のガラス工業の発展と我々が毎日楽しむビールとは、こんなに近い関係がありました。

もっとも各社が多数ビール瓶を作ったため生産過剰による在庫増加、原料価格の高騰、経済不況のビール需要の減少のため、西村氏の工場は1892年には解散してしまいました。

 

明治中期には、大阪、川崎、東京芝また福島県小名浜などに硝子工場が次々に作られ、板ガラス、硝子食器、ガラス瓶などを製造しておりましたが、技術の未熟、品質、価格、供給過剰により長続きするところは、残念ながら少なかった。

ただ、これらの工場で働き技術を磨いた職人たちが、のちに独立し熟練の技術の伝承により、日本の硝子産業の基礎になったことは間違いないです。

 

明治中後期には、東京で50社、大阪で100社、名古屋で30数社の硝子工場が稼働していたといわれています、明治後期は硝子工場の盛衰消長の激しい時代でした。

明治後期から大正時代には、硝子工場の激増と、技術の進歩そして硝子工業も合大きく発展していきました。

 

 

 

工部省品川硝子製造所 | 博物館明治村

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