17|グラスの歴史 日本のグラス製造その10
毎日暑い日が続いておりますね、先月も6月とは思えない暑さに加えて、異常気象による大雨が多発しました、被害にあわれた皆様に心よりお悔やみを申し上げますとともに、一日も早い復興を祈念しております。
日本のガラス製造について、こちらに述べてきましたが、いよいよ木本硝子の活躍する時代に入ってきました。木本硝子は昭和6年に私の祖父木本艶が相澤賢治氏と合名会社相沢商店を設立し、百貨店専門納入業者として発足いたしました。同じグラス業界の吉沼硝子様とは、祖母同士が従兄弟関係ということで、同じガラス業界で同じ市場に販売するのではなく、吉沼硝子様の業務用市場と相澤商店の小売市場とに分けて販売することで設立いたしました。
戦災のため相澤氏が無くなったため昭和20年に同店を解散、昭和22年に木本商店として再発足し、昭和34年に木本硝子株式会社に組織を変更して、現在に至ります。
設立当時の話を死んだ2代目木本清からよく聞いていたことは、問屋の木本硝子が市場のニーズや工場の造るグラスの情報、競合する商品をよく研究し、自分で売れるグラスの企画をして、下町の手造り硝子工場や江戸切子職人たちにグラスや江戸切子を作ってもらい、自分たちで販売価格や卸先・卸単価を決めていたと、そして売れても自分の責任、売れなくて在庫借金の山になっても自分の責任と常々言っておりました。
そんな姿を見て育ったので、大学を出て三菱電機に入ったものの自分で決められないもどかしさで(新人社員が、決められるわけないですよね(笑))、数年で辞めてしまい木本硝子に入ったことに繋がります。
終戦後の混乱の中でも、東京都内や各地に手造りグラス硝子工場が多数あり、その数は100社近いとの説もあります、朝鮮戦争や戦後復興により日本の景気は順調によくなり、それと共に生活も少しずつ豊かになり、生活様式も和式から洋風へと変化していきました。その結果、グラスの需要は年ごとに大きくなり、昭和30年前後は、手造り硝子工場全盛の時代になりました。
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