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21|グラスの歴史 木本硝子のチャレンジとグラス製造のお話4

こんにちは、ここ数回は問屋の機能についての教科書的な説明をさせていだたきました、50年近く前に学んだマーケティングでも、問屋の機能についてはディスカッションしました。

もちろん当時に比較して、飛躍的な技術の進歩や新たに出現したWEBNET、テクノロジーや工夫によって大きく実務内容は変わりましたが、原理原則は同じです。

 

木本硝子が幾多の環境変化の中で、たまたま生き残ったのはまじめな一本気と、変わること変えることを厭わない変態的なチャレンジ精神と、周りのたくさんの皆さんに助けられて残ったのだと思います。

 

まじめさは不器用さでもあると思いますが、祖父も親父もグラスだけ扱え、硝子以外は扱うな、問屋であれと常々言っておりました。バブルの時代でも、地上げや投資の話には、一切耳を貸さず、まじめに(不器用に)グラス一本で地道に問屋として、当時の取り組み先様である松坂屋百貨店とお取り組みをさせていただいておりました、小さい会社でありながら、松坂屋百貨店と継続的に取り組んでいたことで、仕入れ先様である手造り硝子工場、江戸切子職人、大手硝子メーカーにも信頼を頂き、松坂屋様にもグラスなら木本硝子だなと信頼を頂き様々なご相談や企画を頂きました、各仕入れ先様には、現在も長いお取り組みを続けさせていだたいております。

 

問屋が大きくなるには、

①扱い品種を広げ-グラス以外の食器である陶器・漆器・箸などを扱い品種の拡大による売り上げ拡大

②営業エリアの拡大-東京だけでなく、大阪や地方に販売エリアを広げる

③小売に参入する

④メーカーに参入する

などの方法がありますが、木本硝子は上記のどれでもなく、規模の拡大ではなく、実直にグラスのみ扱い、問屋に特化してきました。

 

それが結果的に、ランチェスターの法則の中でいうところの、負け犬の戦略でした。大きい会社は資本と資源ものを言わせてマーケットをどんどん取って行きます、それに反して小さい会社は、強者の戦略は正反対に、マーケット(対象)を絞り、目的を明確にして、得意分野でダントツ1位を目指し生き残ることでした。

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