28|グラスの歴史 木本硝子のチャレンジとグラス製造のお話11
皆さん、こんにちは🎵
木本硝子のチャレンジと生き残りについて、成功事例内容を書き綴ってまいりましたが、これらのアクションは、経営計画・戦略や事前に予想して行動してきたものでは無いです‼
ただただ、会社が潰れたら、社員家族取り組み先様等などにご迷惑をかけることになる、それを回避するために、必死にもがき苦しみながら下した決断と、行動の結果の積み重ねの結果です。そのために、たくさんの皆さんのご支援とご指導を頂きました、ありがとうございます。
2000年代は、2000年に百貨店のそごうの破綻、西武百貨店、長崎屋など、その後マイカル、ダイエーと大手流通の経営破綻が続く時代でした。
百貨店の破綻、スーパーの破綻で大きな影響を受けるのが、商品を卸していた問屋になります、当時の私は未だ40代後半と若く将来に対するグラス業界の夢もあり、東京の硝子問屋8社で連絡組織を作り、情報共有・共同商品開発・取引ルールの透明化・課題解決の勉強会などを進めていました。これらを通じて、各社の経営トップとの交流・信頼関係から各社の取引先、経営状況、課題を話す機会が多かったです。
グラス業界の歴史や各工場や職人の状況、百貨店特有の委託販売や取引決定プロセスなど、木本硝子で知りえない内容をたくさん、勉強させていだたきました。
当時は、ヨーロッパ中のグラス工場を買い付けに回り、直接輸入してイオンをはじめ硝子問屋仲間の皆さんにもリーズナブルな価格で大量に販売しており、会社の売上も利益も伸び、たくさんの皆さんに商品開発を感謝され、グラスマーケットの次の時代は私が創り出すと天狗(笑)になっていた時代です。
そんな中、そごうさんなどの破綻で傷ついた仲間の問屋さんから相談いただきました、取引先・仕入れ先・社員を守るために得意先を引き継いでほしいと・・・
後継者も無く、元々経営状態は厳しいので会社としてのM&A等は、弊社としては引き受けられないのですが、有力百貨店との取引が可能になるという状況に、50歳働き盛りでちよっと天狗になっていた私は、これは大きなチャンスと考えお話を受けることにしました。これが、直ぐにとんでもない危機的事態につながることを全く予想していませんでした。
これからの顛末は次回書き綴っていきます。
あくまでも私個人の感じた感想です、特定の個人・会社・組織についての事実・意見ではありませんので、ご留意ください。
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