46|グラスの歴史 日本のグラスメーカー、手造りグラス工場について16
皆さん、こんにちは🎵
先週2/23は天皇誕生日ですが、実は結婚記念日でもあります♪1986年(昭和61年)に式を挙げ、その後現天皇が即位され天皇誕生日として国民の祝日になり、我々の結婚記念日もお祝い頂くことになりました🎵
HOYAクリスタルは、グラスから急成長してレンズ、メガネ、半導体装置と多角化して高収益を上げる一方、大胆なリストラ(事業再構築)を世の中に先駆けて断行して、さらなる成長を続けている素晴らしい会社です。祖業創業のグラス製造からの撤退は、業界としては大変残念ですが、経営という視点では違う評価になると思います。
1994年の事業仕分けの中で、クリスタル事業(グラス事業)は厳しい状況に置かれました、HOYAクリスタルは、百貨店や小売店などにメーカー直接販売を行っておりました、直販の売り上げ拡大のために、自社工場では製造できないアイテム(花瓶や3000円前後のギフトアイテム)をチェコやスロベニアなどの東欧諸国から輸入して販売、その後ルーマニア、タイなど調達先を広げ、商品アイテム拡大をしていきましたが、品質管理や調達タイミングのロスなど、販売金額に見合う収益を上げることができませんでした。国内の自社工場(埼玉県入間市)で生産していたクリスタルグラスは、生産能力が販売量を上回っていたために、百貨店エスカレーター前のワゴンのバーゲセ―ルのアイテムとして常時販売されており、HOYAブランドの価値を下げる結果になっておりました。生産面では、販売赤字脱却のため、クリスタル以外いわゆる普通のソーダガラスの生産をしていた、オートメーションのグラス製造設備を長谷川硝子に売却しました。
HOYAクリスタルのリブランディングとして、江戸切子をオートメーションの機械で造り展開したり(江戸切子の名称は使えません)、最高級ラインだけのショップを造ったりと数々の方策を取り続けていきましたが、2009年(平成21年)ついに、HOYAの創業事業であるクリスタル製造(時計・ガラス製品・食器向けなど)に関して、採算が悪化していたことから2009年に撤退を決定しました、すでに、HOYAは2006年(平成18年)にクリスタルグラス製造の武蔵工場(埼玉県入間市)の閉鎖を実施。2009年(平成21年)までにクリスタル事業の拠点であった東京昭島工場の設備の減損を実施し、クリスタル事業からの撤退を完了した。
私は違う視線でHOYAクリスタルを見ると、グラス業界に大きく貢献したと考えています、江戸切子の継続維持と現在の成長へ大きく貢献しておりました。いわゆる生地(クリスタルグラス)をHOYAが製造して、下請けである多数の江戸切子職人にカット(江戸切子)を入れて、販売していました。江戸切子の職人の一部が埼玉在住なのはその名残です、また、カガミクリスタル(後述予定)も加工を多数の江戸切子職人たちに依頼しており、こちらは1989年(平成2年)まで工場のあった東京大田区に職人たちが活躍しているのと同じストーリーです。江戸切子の職人たちのグループが、HOYAクリスタルとカガミクリスタル、ササキクリスタルなどに分かれていました。江戸切子の職人たちは、大手企業の下請けとして生計を立て継続しながら、技術を磨き現在の成長過程に繋がっていったと思います。
また、HOYAクリスタルはデザインや新しい造形にも長年チャレンジしており、著名なデザイナー作品の多くが世界各国の美術館などに収蔵陳列されております。
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