41|グラスの歴史 日本のグラスメーカー、手造りグラス工場について11
皆さん、こんにちは🎵
クリスマスは楽しみまれましたか>??我が家には5人の子供がおりますが、4人が結婚して独立した所帯を持っており、一緒に住んでいる末娘は就職して、仕事とプライベートを謳歌しております♪
10年ほど前までは、毎年この時期から年末年始にかけて、食事に出かけたり嫁さんの料理をみんなで囲んで楽しんでおりましたが、ここ数年は嫁さんと二人静かにクリスマスを過ごしております、ちょっと寂しい気もしますが、結婚した年に長男が生まれそれ以降は、怒涛(笑)の毎日を騒がしく30年間も過ごしていたので、嫁さんと二人の時間がほとんどなかったです。
今は、のんびり静かに昔話や子供たち孫の話題など話してクリスマス楽しみました🎵
歳より臭いけど、まぁ歳相応かと(笑)
日本の大手ガラスメーカーとして、石塚硝子、佐々木硝子、東洋ガラス、東洋佐々木ガラスのお話をしてきました、今回からはプレスの専業メーカー曽我硝子のお話をしていきます。
曽我硝子は、初代曽我作太郎が名古屋市で1907年(明治40年)にグラス製造業を始めました、その後戦争を経て1950年(昭和25年)にプレスによる押型製造に着手しました、曽我式回転押型製造機械を開発し、1960年(昭和35年)には、押型の自動製造オートメーションによる大量生産体制を築き、国内の流通は全国8代理店と特約店300店を組織化して、販売体制をつくりました。
また、当時ガラス食器の荷造りの常識であった炭俵に、縄掛けをダンボールカートンと化粧函姿に切り替え、同業者はもとより他業界の包装様式にも大きな刺激と革命を起こしたといわれています。
グラスマーケットの大部分はいわゆるコップやワイングラスのようなどドリンキングウェアーです、小鉢やお皿、花瓶、灰皿のアイテムは主流では無いですが、生活にとっては必要なグラス類になります。
曽我硝子は、この非主流と言われる皿鉢、プレスのグラスに特化していきました、世界的にも、プレスの専業メーカーは少なくドイツのワルター社、現在はリーデルグループになりましたが、ドイツのナハトマンとドイツ/チェコの一部中小メーカーと数えるほどです。近年は中国で大型の自動成型機を持つメーカーが多数製造しており、その影響でナハトマン以外の工場は廃業したところがほとんどです。
2023年のブログは今回で終わりになります、2024年1月15日からになります、今年一年お世話になりました。来年も、引き続きよろしくお願いいたします。
良い歳をお迎えください。
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