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37|グラスの歴史 日本のグラスメーカー、手造りグラス工場について7

皆さん、こんにちは🎵

佐々木硝子は、日本で初めてオートメーションのグラス製造を始め、大量生産大量消費の時流に合ったと同時に、ハードストロングHSグラスを開発発売して大きく飛躍し、高級グリスタルがアメリカ市場で人気を博して、昭和50年代は日本のガラス食器メーカーとして、業界のリーダーとしても大きく活躍した時代でした。

 

時の社長佐々木秀一氏は、1913年(大正2年)生、1937年(昭和12年)3 - 慶應義塾大学経済学部卒後、合名会社佐々木硝子店無限責任社員、1947年(昭和22年)- 佐々木硝子株式会社取締役社長就任、1947年(昭和22年)には、弊社も加盟している業界団体、東京硝子製品卸商業協同組合理事長に就任、1968年(昭和43年) - 藍綬褒章受章、1973年(昭和48年)には、 東京商工会議所副会頭に就任した、東京商業活動調整協議会会長として、有楽町の阪急、西武、オ・プランタンの3店の出店調整問題を巧みに処理したといわれている、神田明神の総代など本業以外の役職が増え、本業への目が行き届かなくなり、関連会社への多額の債務保証や放漫経営、財テクの失敗などにより、坂を下るように業績は悪化していきました。東証1部上場企業でありながら息子である、佐々木宗和氏が社長になった際に、経営状況を知り愕然としたとの話があります。

 

佐々木宗和氏が、懸命の努力にも関わらず、債務金額が多大で債務免除などの方策も取りましたが、敵わず1999年(平成11年)に民事再生法を申請、倒産しました。当時の数字は資本金552,500万円、負債40,213百万円でした、東証一部上場企業の倒産ということで大きなニュースになりました、硝子食器業界においても、後でお話するカメイガラスが1997年(平成9年)に倒産したことと合わせて、グラスの供給不安、新企画の欠如、グラス業界のイメージ低下があり、これらがきっかけになって、2000年代に入ってからの、問屋の倒産・廃業に繋がるなど大きな影響がでました。

 

幸いなことに、日本最大の容器包装製造をコアとした事業を行っている、東洋製缶グループの一員でガラス瓶などを製造している、東洋ガラスのハウスウェアー部門と2002年(平成14年)と佐々木硝子株式会社は統合して、東洋佐々木ガラス株式会社になり新たなスタートになりました。

東洋佐々木ガラスについては、次回お話させていただきます。

 

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