42|グラスの歴史 日本のグラスメーカー、手造りグラス工場について 12
皆様、今年も、よろしくお願いいたします。
年明けから能登地震、JALの事故、暗い事件など心落ち着かないことが続いております、
特に能登地震は我々ものづくりの仲間、輪島塗と酒蔵が甚大な被害を受けております、2週間たった今も詳細な状況が解からずやきもきしております。出来ることで応援しております、半年1年の時間スパンでの復興復活は厳しいと思います、5年10年と息の長い応援をしていきたいと思います。
曽我硝子は、皿鉢のなどのプレス製造のグラスに特化して大きく飛躍を遂げました、特にアメリカや中近東への輸出が大きな原動力なりました。
1985年(昭和60年)に、愛知県小牧市の工場に大型の溶解炉を導入、従来のオートメ―ションの設備と連携して、直径30cmを超える大皿や大きな鉢、30cm以上の高さのある花瓶など製造始めました、1988年(昭和63年)には、ロンドン、ニューョークに事務所を開きました、合わせてドイツフランクフルトで毎年開催されている、世界最大のライフスタイルショー「フランクフルトメッセ」に出展して、世界マーケットへ大きく販売をしておりました、
特にバラ柄のローズシリーズは、小鉢、大皿、大鉢、楕円皿、パンチボールセット、珈琲マグなど多数のバリエーションに加えて、加工バリエーションも多くプレーン、サンドブラスト、ラスター加工、口金加工などあり、幅広いバリエーションと加工ラインがあり、世界マーケットで素晴らしい大ヒット商品になりました。
木本硝子の歴史の中でお話した、在日アメリカ軍基地などでも飛ぶように売れ、毎回お客様から注文をもらって送っていました、この商品のおかげもあって今の木本硝子があるといっても過言ではないというほど、売れた思い出深い商品です。
アメリカではMIKASAブランドで販売されていました、MIKASAはマーケティング会社で木本硝子のようにファブレス企業として、MIKASAブランドで商品企画、開発して世界中のベストソーシング先で製造して、アメリカを中心とするマーケットに販売しております、1990~2000年にかけては、グラスは曽我硝子がメインのサプライヤーになり、アメリカマーケットにローズシリーズが大量に販売され、曽我硝子が大きく成長した時期になります。
日本においても、国内代理店流通と共に1980年代までは、HOYAクリスタルへのOEM供給などが下請けとしての販売がメインでしたが、1987年(昭和62年)に直轄の販売会社SOGA、エトワールソガを設立し、国内の特約店に直接販売を始めました。
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