54|グラスの歴史 日本のグラスメーカー、手造りグラス工場について24
皆さん、こんにちは🎵
先週に引き続いて、日本のグラスマーケットに多大な影響を与え、グラスマーケットを大きく拡大させたカメイガラスについて、お話していきたいと思います。
手元にある一番古いカタログが1989年(昭和64年・平成元年)のものです。
カメイガラスが復刻させた薩摩切子や江戸ビードロ、長崎硝子のシリーズについて、
お話しました。そして輸入品の扱いアイテムの紹介で、フランスARC社、ドイツのワルター社のお話をしました、今回からは東欧、チェコ、スロバキア、ルーマニア、ハンガリーの工場の商品について、お話していきたいと思います。
旧共産圏と言ってもピンとこない皆さんが多いと思います、米ソ冷戦時代で自由陣営の西欧と、旧ソ連に支配されている東欧は共産圏と言われ、鉄のカーテンと言われる厳しい国境管理と軍事力の睨み合いがありました。ビジネスにおいても、現在の北朝鮮、ロシアに対する経済制裁と同じような形態で、共産圏諸国との貿易については様々な制限がありました。
経済的にも旧共産圏は貧しい国々と言われていましたし、渡航についてもビザの取得義務など厳しい制限がありました。そんな状況でも、各国は外貨とくにドルを稼ぐために国策として産業育成を行っていました。とくに、旧チェコスロバキアは有名なボヘミアクリスタルの産地であり、国内各地にたくさんのグラス工場やカットや加工をする職人たちが多数おりました、また高校や大学においてもグラス製造の技術・研究が盛んで、必修科目として全学生にグラスについての教育がされていたと聞いております。
チェコスロバキア時代は、貿易の窓口はチェコ側は輸出公団グラスエキスポートが一括して行い、日本側の窓口は三菱商事系の明和産業が独占的に扱っており、明和産業の子会社の明和セールスが、三越伊勢丹高島屋などの百貨店や百貨店問屋に販売卸しておりました。
1989年(平成元年)のビロード革命によって共産主義体制が崩壊するとまもなく分離の動きが進み、1993年(平成4年)チェコスロバキアは連邦制を解消してチェコ共和国とスロバキア共和国に分離独立しました。国が分かれたのと、各グラス工場が独自の販売やブランディングもするようになり、必然的にグラスエキスポートも解体変遷の流れになって行きました。カメイガラスは当初は、明和産業が独占的な契約のため、各工場はカメイガラスと取引したくても、なかなかできない状態でした。明和産業は、高価なボヘミアクリスタルを独占的な販売代理店ということで、日本の価格をコントロールして利益をしっかりと確保しており、現地のコストからは考えられないような国内上代設定をしていました。一方工場は、日本のマーケットに高価なクリスタル以外のグラスも販売したいということで、明和産業が扱わない廉価なグラスやオートメーションで造られたグラスをカメイガラスは徐々に扱うようになってきました。
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