55|グラスの歴史 日本のグラスメーカー、手造りグラス工場について25
皆さん、こんにちは🎵
先週からGWに入りましたね、今年は3日頑張って休みを取ると10連休になりますね、私は連休初日の27日は地元松戸の公園で、楽しく酒友仲間たちと、大人のバーベキューを楽しんで英気を養ってきました、皆さんも連休楽しんでくださいね。
先週に引き続いて、日本のグラスマーケットに多大な影響を与え、グラスマーケットを大きく拡大させたカメイガラスについて、お話していきたいと思います。
繰り返しますが、カメイガラスはメーカーというより問屋から発展した、プロデュース会社のポジションで、自社でブランディング、デザイン、調達、セットアップ、物流を行ってきました、他のメーカーとチヨット違う視点でのビジネスが、私は日本のグラスマーケットに大きな影響を与え、グラスマーケットの拡大に大きく寄与したと思います。
前回に続いて、旧共産圏時代の東欧チェコスロバキアからのグラスの輸入について、お話しします。
共産時代は、国営の貿易商社であるグラスエキスポートが、国内すべてのグラスの輸出窓口であり、日本では三菱商事系の明和産業が独占的な輸入販売、価格統制を行っておりました。
共産主義体制が崩壊して、各工場が独自に販売、輸出を行うようになり、カメイガラスや貿易商社がこぞってチェコ、スロバキアからグラスを輸入するようになりました。
チェコの工場は、CRYSTALEXとSKLO BOHEMIAの大手オートメーションの工場と中規模のPOLTAR、ポディブラディ、手造り工場のカロリンカなど、スロバキアは大手のオートメと手造りを製作しているRONA、手造り硝子のクベトナなど多数の工場が、それぞれの製作特徴を生かしたオリジナルグラスを造っておりました。
ボヘミアクリスタルという代名詞に象徴されるように、各工場の生産技術と職人の腕は素晴らしいものでした、フランスのバカラやオーストリアのロブマイヤーなどの、高級で繊細なグラスが、卓越の技術を持つ職人たちによって一つ一つ吹きあげられていきました。
解放後は、ドイツやオーストリア、ロシアなどからの資本と技術が入り、大きくチェコ、スロバキアのグラス製造は伸びました、一方国やグラスエキスポートによる管理が無くなり、自由競争になったため、工場間のコスト競争、技術競争、販売競争が激化して、統合合併、廃業、復活などの淘汰が2000年(平成12年)代に入ると、激化していきました。
又、中国やトルコなどから、オートメーションと手造りグラスが大量に世界マーケットに販売され、自由化以降のチェコ、スロバキアの人件費高騰、石油価格の上昇などにより、多く工場が閉鎖、倒産していきました。現在は、チェコのCRYSTALX、スベトラ、スロバキアのRONAなどが現在も活躍しています。
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