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10|グラスの歴史 日本のグラス製造その3

こんにちは、こちらのブログも今回で10回目になりました。結構大変かなと思って始めましたが、今のところちょっと書き出すとあれもこれもあったよねって感じで、いろいろ思い出し調べながら書いており、楽しくなってきております・・・いつまでこのテンションが続くかは解りませんが()

 

大阪では、1751年にポルトガル人からグラスの製法を学んだ播磨屋清兵衛が、大阪市北区天満あたりでグラスの製造を始めております。

 

それより少し前の、正徳年間(17111715)に江戸にグラスの製造が伝えられました。文政13(1830)発行の 『嬉遊笑覧』によると、「今も浅草に長島屋半兵衛という硝子(びいどろ)氏あり、歳70余なり。 この養父を源之丞といふ。江戸にて硝子(びいどろ)を吹き始めたるはこの者なりといへり。かれこれ考へてみればその始め正徳のころにあらん」とあります。

 

そして明和7(1770)刊行の『職人部類』には、当時すでに江戸でガラスが製造されており、ガラス製品の種類も多くなったと記されています。しかし、江戸ガラスの祖といわれているのは、加賀屋の皆川久兵衛と上総屋の在原留三郎です、江戸・日本橋通塩町(現在の日本橋馬喰町辺り)で、金属丸鏡と紐付眼鏡を製造・販売していた加賀屋は、文政年間(18181829)にガラス製造を計画して手代の文次郎(のち久兵衛に改名) を大阪に送り、播磨屋から独立した和泉屋嘉兵衛のもとで数年間修行させ、江戸に帰ってガラス製造を行いました。

皆川久兵衛は天保10(1839)に加賀屋から分家して独立、加賀屋久兵衛、通称「加賀久」と名乗り、大伝馬町に店を構えてガラス製造・販売を始めた。加賀屋久兵衛は、天保5年(1834)に金剛 砂でガラス面に彫刻し、切子細工を工夫したと伝えられている。これが最初の江戸切子と言われており、江戸切子発祥の地となっております。また同じくして、久兵衛は理化学用・医療用ガラス を日本で始めて製造しました。才覚商才とも長けていた日本のガラス発展の祖と言われています。

 

当時の江戸切子は、現在のような瑠璃や赤の色でなく、透明なグラスに花のような文様を入れたものです。

 

加賀屋引札 現在のカタログのようなもの

【参考】大正時代の花切子 

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