16|グラスの歴史 日本のグラス製造その9
明治時代のガラス製造のマーケットは、当時国内で急速に普及した石油ランプでした。明治20~30年にかけて生活の必需品となり、最盛期を迎えています、ガラス製のため油の残量がすぐにわかることや、壊れやすいため買い替え需要が絶えることなく続きました。
また明治後期から大正時代には、更にガラス産業がさらに飛躍しました、一つは、板ガラスです、国内生産が可能になり生産額が急増していきました、現在もガラスの生産精度が低かったため波打つような板ガラスが、古民家や商館などに見られます、アンティークとしても人気があります。
もう一つは、皆さんが日々使っているガラス瓶です、製壜製造の機械が導入され急速に普及していきました。さらに第一次世界大戦の勃発で、日本のガラスは世界市場にも数多く輸出されるようになり、ガラス製造技術の革新により品質も向上し、さらに輸出が増えるという好循環で日本のガラス産業は発達していきました。
大正期の氷カップにみられる、色ガラスを使った被せや色ぼかし、糸巻き、かきあげ、あぶり出しといった、様々な装飾技術の革新による新技術で新商品が流行していくのは、日本特有の現象であった。カラフルな食器でかつ手ごろな価格で造られた、グラスは庶民の生活の中で使われ、グラスが生活のなかの雑器として極めて身近な存在になりました。
美術の世界にもガラスが広がり始め、「美術工芸品」としての「ガラス」を作り出す風潮が出てきた。昭和初期には、「色ガラス」の岩田籐七(岩田工芸硝子)や「クリスタル」の各務鉱三(カガミクリスタル)らが日本のガラス工芸確立のために活躍した。百貨店の家庭用品売場で販売や催事が行われていたものが、美術工芸売り場などで展開されるようになっていきました。その後、先人たちの努力により、美術工芸品として市民権を得て、更に個性豊かな多くの後継者が登場し、第二次大戦後の新世代へと引き継がれていきました。
大正期の窓ガラス
明治期のビール瓶
昭和初期のかき氷グラス
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