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23|グラスの歴史 木本硝子のチャレンジとグラス製造のお話6

皆さん、こんにちは🎵

 

先週はお盆休みでこちらのブログもお休みさせていただきました、木本家は先祖を大切にしております。ご先祖様がいて我々がいる、そしてそれを継続させていくことが我々の責務と考えております。

お正月元旦は家族で新年の挨拶・雑煮を食べて、先ずは墓参りご先祖さまにも新年のご挨拶と一年の家族の健康と商売繁盛をお願いします。春のお彼岸、秋のお彼岸、そしてお盆、東京のお盆は新でやるために7月にお迎えと送りに行きます、そしてお墓のある茨城は旧なので8月にもお参りに行きます、子供たちも孫たちも連れて行って先祖様へのお礼とご挨拶を欠かせません。

 

前回のブログでは、木本硝子が百貨店問屋からスーパー問屋への変革のスタートについて書きました、これからは1990年代から2020年までの①流通の変遷 百貨店から量販店、ネットビジネスへの小売業の変革 ②世界のガラスメーカー、日本のガラスメーカーの変遷 ③流通の変革とメーカーを取り巻く環境の激変の中で生き残るために、変態チャレンジをした木本硝子のビジネスモデルの変化 の3つに分けて、皆さんにお知らせしていこうと考えております。

 

先ず①の小売業の変遷から入りたいと思います。昭和30年代に生まれた私は、初代の爺さんに連れられて三越日本橋に行き、食堂でお子様ランチを食べ、屋上の遊園地で遊び、おもちゃ売り場で並んだおもちゃをずっと見比べ、地下のお菓子売場で回っているお菓子を好きなだけ買ってもらった、楽しい思い出そして三越に行くことは、特別な買い物や晴れの日に行くところと思っていました。

 

百貨店の売り上げも、ピークだった1991年は97000億円あり、店舗も268店あり、各地方には多数の地方百貨店がありました。当時のスーパーと言えば、ダイエー、ジャスコ、ヨーカ堂などと共に各地に地方スーパーが多数生まれましたが、スーと生まれてパーと消えるという厳しい経営環境で、安かろう悪かろうのイメージがまだまだ強く、大手メーカーが百貨店に遠慮して、商品を販売制限したり、商品を変え百貨店商品とスーパー商品と別ブランドや別品質で販売していました。

 

当時の松下電器産業(現パナソニック)とダイエー(現イオン)とで勃発した、ダイエー・松下戦争は、1964年(昭和39年)から30年に渡って、ダイエーと松下電器産業(との間で商品の価格販売競争をきっかけに起きた対立である。松下幸之助は「定価販売(小売希望価格)でメーカー・小売りが適正利潤を上げることが社会の繁栄につながる」と定価販売を進めていたが、ダイエー創業者の中内㓛は「いくらで売ろうともダイエーの勝手で、メーカーには文句を一言も言わせない」という主張を貫き、これが発端でダイエーは自社開発商品PBのテレビを作りやすく販売した、その後両者の死後に和解して現在の販売体制になりました。

 

私は流通の覇者を決める戦いだったと思います、「良い品をどんどん安く消費者に提供する」というダイエー中内さんの考えはスーパーのロジックそのものであり、既存のメーカーや百貨店の定価販売でしっかりしたものを売るというロジックとは相いれないものでした。

 

ところが、モータリゼーション、商店街や駅前の衰退、消費構造の変化やコンビニ(1974年セブンイレブン一号店が開店)して、お客様の買い物の場が大きく変わって行きました。19902000年は未だECビジネスは勃興しておりません。  続く

 

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