29|グラスの歴史 木本硝子のチャレンジとグラス製造のお話12
こんにちは🎵
木本硝子の一年は10月1日からスタートします、2023年度の成績表(決算書)は、皆さんの子協力応援と社員メンバーの頑張りで、まぁまぁの結果になると思います、次のステージへのアクションがまだまだですが、一つの区切りになります。ありがとうございます♪
50代の若さと、グラスはすべてわかっているという根拠のない自信で、三越・伊勢丹・高島屋・東急・小田急さまなどの百貨店との取り組みを2000年ごろにスタートしました、それまでの木本硝子はイオン・松坂屋と地方百貨店数社との取引のみで、社員も数名の小さい会社が、社員数10数名に膨れ上がり、机もロッカーもパソコンなども急ごしらえで準備して、たくさんの取り組み先様との取引が始まりました。
結果的に、2008年までに三越・伊勢丹以外の百貨店は取り組みを辞退して、かかわった社員にも辛い思いをさせてしまいました、これが今でもトラウマになっています。
大きな原因は、私のマネージメント能力が無かったということです、まわりは社員の能力やタイミングが悪かったなどと言ってくれますが、私が判断して採用して事業を進めたのです。一にも二にも私が、プレイングマネージャータイプで、なんでも自分中心で考え動く、人に任せられず、組織の考えや実態、業務の範囲や責任範囲などが、決められず任せられず、結局何でもかんでも中途半端になり、社員のモチベーションも下がり、わずか数年の取り組みで、撤退することになりました。
経験不足知識不足世の中知らずが原因ですが、百貨店とイオンとのビジネススタイルの違いが分からず、シンプルに良い商品良い条件・商品開発で提案・商談を進めていましたが、百貨店は委託販売・販売員付き・什器負担などが必須条件で、グラス商品のカテゴリー提案では、最初から土俵が違いビジネスは成り立たなかったです。
人を使う難しさもありました、特に長年同じ取引先を担当しているスタッフは、取り組み先だけでなく、競合相手や仕入先との関係も深くなり、シンプルな競争ではない複合的な要因との戦いになります。
シンプル短絡的に考えて行動する私には、理解できず。しばしば口論になり、感情的なしこりも残ってしまいました。
時代がスタッグフレーション、デフレの世の中になり、流通構造が変わったこともありました、百貨店からスーパーへ、スーパーからユニクロのフリース・ダイソーの100円均一と商品を買う場所が変わり、流通業界も変わった言ったことは、前述(2023/8/21 23-グラスの歴史 木本硝子のチャレンジとグラス製造のお話 6)ご参照ください。
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