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32|グラスの歴史 日本のグラスメーカー、手造りグラス工場について2

こんにちは🎵

前回に続いて石塚硝子の販売会社アデリアについてお話していきたいと思います、アデリアの名前の由来は、かつてNHKの番組であった「私の秘密」で、硝子発祥の地のひとつであるアデリア海にちなんで、番組メンバーによって名付けられたのだといわれております。。そこからブランドは展開を続けて、現在では50年以上も皆様に親しんでいただける存在になっています。

 

アデリアの扱うグラスは、親会社の石塚硝子の造るオートメーションのグラスだけでなく、同じく石塚硝子の瓶工場から作られる梅酒壜や密封容器などや、仕入れ商品として国内の手造りグラス工場から仕入れて販売しております。特に後述するカメイガラスが1997(平成9)に倒産廃業後には、グラスを扱う我々のような問屋や、小売店・百貨店などからの強い要望を受けて、カメイガラスが販売していた、国内の手造りグラス工場やドイツ・イタリア・フランス・チェコなどの、海外のガラスメーカーの商品を多数扱うようになり、グラスマーケットの拡大維持に高く貢献しております。

 

石塚硝子/アデリアとしての経営戦略・販売戦略の上でも、またグラスマーケット・お客様にとっても、賢明で素晴らしいご判断だったと私は思っております。

ありがとうございます♪

 

特に、青森県にある北洋硝子はカメイガラス時代にはほぼ100%、カメイガラスに販売しており、資本も人材も技術なども大きく依存しておりました。元々は地元青森で盛んな、漁業で使う硝子製の浮き球を造る工場でしたが、カメイガラスのアイデアと技術で、津軽びいどろブランドしてたくさんのグラスや花瓶、美術品を製造してきました。宙吹きと呼ばれる金型を使わず、職人の高い技術から作り出される花瓶などは、現在造ることの出来る職人はほぼいなくなってしまいました。現在は、スピン成形、圧迫、プレス、流し込みなどの製造技術で製造しており、とくに「スピン成形」は、金型を回した遠心力でガラスを形づくる成形法で、熱したガラスを最適な量・タイミングで金型に落とし込むのも、回すスピードを調整して美しい模様を描き出すのも、すべて一つひとつ職人が行う製造です。また津軽びいどろはカラー展開が豊富なため、ガラスの色(生地をつくる成分の配合)によって変わる膨張率や硬さにあわせて、同じサイズ”に揃えていくには、高い技術が必要です。

 

北洋硝子が、色ガラスの製造を始めたきっかけが、ある職人の思い付きです。青森にたくさんある海岸のなかで、一際美しい砂浜と緑豊かな自然が続く七里長浜。あるとき職人がふと思いついて、その七里長浜のひと握りの砂を原料として加えたところ、そのガラスは、えも言われぬ深みのある緑へと色を変えました。その温かい色合いは青森で、また日本各地で愛されるようになりました。

 

それから色づくりに本格的に取り組み始めます。当時は廃業するガラス工場/工房もたくさんあった頃。これまで他の工房がつくっていた美術品と「同じ色を再現してほしい」という依頼も舞い込むようになり、その一つひとつの微妙な違いを再現するなかで、今に続く多色多彩の商品展開になっています。

 

北洋硝子は現在アデリアと同じ、石塚硝子のグループ会社の一つになっております。

 

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