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31|グラスの歴史 日本のグラスメーカー、手造りグラス工場について1

こんにちは🎵

前回までは、木本硝子100年近い歴史の中で歩んできたこと、チャレンジしてきたこと、そして乗り越えてきたことを私の個人的な考えで、お話させていただきました。

たくさんの皆さんの、アドバイスご指導ご協力が有って、木本硝子が残されております、これからも新しいチャレンジをチームとして、取り組んでまいりますので引き続き、よろしくご指導ご鞭撻をお願いいたします。

 

世界で初めて黒の江戸切子を開発してから、現在についてのチャレンジは又改めての機会にお話したいと思います。

 

日本のグラスメーカーさんについて、お話していきたいと思います。

 

グラスの歴史について、ご説明していたしましたが、グラスの製造は昭和30年代までは、昔ながらの手造り硝子製造法で造られており、都内にも数十軒のグラス工場がありました、アメリカのオーエンス社から、佐々木硝子が日産10万個のタンブラー製造が可能なH28マシンをアジアで初導入。安価で高品質のタンブラーの大量供給になり、それに伴い手造りグラス工場はどんどん潰れ廃業し、数軒のみになってしまいました。

 

先ずは、オートメーションで製作してグラスを作っている、作っていたけど現在は無くなってしまった会社について、お話していきたいと思います。

 

東証スタンダードに上場している石塚硝子は、2019年に創業200年を迎える老舗のガラスメーカーです。現在は硝子・グラスのみでなく紙容器、ペットボトルなど多方面の容器を製造しております。グラス食器関係の石塚硝子の商品は、100%子会社のアデリアを通じて国内には販売されておりますので、アデリアといった方が皆さんにはなじみやすい名前だと思います。

 

1819年(文政2年)、初代の石塚岩三郎が現在の岐阜県可児市土田でガラス製造を始め、

1850年(嘉永3)尾張藩主徳川慶勝公よりビードロ細工の注文を賜ったことから石塚硝子の歴史は始まっています。

その後、幾たびの工場の移転・拡大と共に硝子瓶の製造も始め、昭和30年代には近代的なオートメーションのグラス工場、硝子瓶工場を新設して事業を大きく拡大していきました。1962(昭和37)には、酒税法の改正を受け、世界で初めて梅びんを開発発売して、新しいマーケットとして爆発的に売れ、現在も梅の時期になると日本全国で梅瓶が販売されています。

 

居酒屋などで今も皆さんが良く見る、アルスターシリーズは1968(昭和43)発売のグラスです、いまでも人気でたくさん販売されています。

 

アデリアの歴史は次に続きます。

 

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