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44|グラスの歴史 日本のグラスメーカー、手造りグラス工場について14

皆さん、こんにちは🎵

今年は3連休がたくさんあります、3連休になるのは、18(成人の日)211(建国記念の日)223(天皇誕生日)429(昭和の日)715(海の日)811(山の日)916(敬老の日)922(秋分の日)1014(スポーツの日)113(文化の日)を含む10回です。これをチャンスととらえるか危機と捉えるかは各自のご判断ですが、私は一般消費が減って、外食や旅などのコト消費が増えると思います。それを日本酒グラスの拡販や普及につなげて行く、仕掛けを進めております。

 

前回パリメゾンドオブジェ、フランクフルトアンビエンテ展示会で気が付いたことを少しお話させていただきましたが、もう一つグラス業界にとって大きなトレンドがあります。

割れないグラスの急速な普及です、サイゼリアさんで使っている様なプラスチックのコップがおしゃれなデザイン、カラー展開、グラスと違って新規参入のハードルが高くないので、中国をはじめ世界中のメーカーがたくさん作り始めました、供給が増えてマーケットも拡大する傾向にあります、グラスにすべて置き換わるとは思いませんが、いろいろ今後のことを考える必要になると思います。

 

さて、日本のグラスメーカーでは石塚硝子、佐々木硝子、東洋ガラス、東洋佐々木ガラス、曽我硝子とお話してきました、今回からはクリスタル製造メーカーのHOYAクリスタルについて、ご紹介していきます。

 

HOYAクリスタルは、1941(昭和16)に愛知県出身の山中正一、山中茂の兄弟が、東京府北多摩郡保谷町下保谷(現在の東京都西東京市)で東洋光学硝子製造所を創業。光学ガラス製造を始めた、東條英機首相の要請を受けて、軍需向けの光学ガラス製造を開始。クリスタルガラスの第一人者であった山中正一氏が、兄弟の山中茂氏とともに個人創業した。

戦時中における光学メーカーは日本に6社存在しており、ニコンとHOYA2社が海軍向け、その他4社(富士写真フイルム・小原光学・ミノルタ・小西六)が陸軍向けを担当。このうち、海軍向けの中では、ニコンが軍艦(船舶)向けを担当し、HOYAは双眼鏡・爆撃照準器・航空カメラのレンズ製品を担当した。終戦後、軍需場が消滅したため、民生用として1945年(昭和20年)クリスタルガラス食器製造開始した。

1947(昭和22)商号を(株)保谷クリスタル硝子製造所に変更し、本格的にクリスタルグラスの生産を始めた。

 

 

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