47|グラスの歴史 日本のグラスメーカー、手造りグラス工場について17
皆さん、こんにちは。三寒四温と言いますがこのところの寒さは、2月中旬に春の陽気になった後の寒なのでからだに堪えます、皆様もくれぐれもお体ご自愛ください。
今回から、宮内庁御用達カガミクリスタル、現「KAGAMI」について、お話していきます。
カガミクリスタルは1930年(昭和5年)に、各務鑛三が東京市滝野川に各務クリスタル工芸硝子研究所設立ところから始まります。各務鑛三は、東京高等工業学校で窯業を学んだあと、1920年(大正10年)満州鉄道窯業試験所に就職し窯業の研究に従事した。その後、ガラス工芸技術について学ぶためドイツ留学を命じられ、1927年(昭和2年)ドイツの国立シュトゥットガルト美術工芸学校に留学した。各務鑛三が41歳の時だった。同校で1年半、校長のウィルヘルム・フォン・アイフ教授に師事して、グラヴィールやカットなどのガラス彫刻を学び、各務はガラス工芸に魅せられた。その後、1929年(昭和4年)に留学から帰り、各務クリスタル工芸硝子研究所を独立・設立した。自身のガラス工房を作り、ガラス工芸家としてのチャレンジを開始した。もともと芸術的センスの高かった各務は、1932年(昭和7年)に第13回帝展(現在の日展)に初入選し自信をつけるとともにグラス業界で頭角を現した。
1934年(昭和9年)日本初のクリスタル専門工場「各務クリスタル製作所」を東京大田区に創立した、そして同年に第15回帝展で特選に選ばれ、作品のすばらしさが急速に認められ
その後1937年(昭和12年)にはパリ万博で銀賞を受賞、1939年(昭和14年)にはニューヨーク万博で名誉賞を受賞するなどして世界的に認められた。1943年(昭和18年)に東久邇宮に内親王成子が嫁いだ際に皇室調度品(御用品)を納めた、以降皇室御用達となりました。1954年(昭和27年)各国の在外公館が再開したため、外務省へ在外公館備品としてクリスタル製品納入開始した。1958年(昭和33年)にブリュッセル万博でグランプリを受賞、1960年(昭和35年)には芸術家として最高の栄誉の一つの日本芸術院賞を、クリスタルガラスでは初めて受賞した。
各務鑛三の信念は、「時代と世代を超えて愛される至高のクリスタルブランドの追求」です、クリスタルガラスのトップブランドとしての地位を築いた。現在、KAGAMIは、250以上の日本大使館、領事館で公式に採用されており、日本を代表するグラス食器メーカーです。
前述したHOYAクリスタルが事業から撤退したり、世界各国でクリスタルグラス製造がほぼ無くなる中で、クリスタル製造の一貫生産は世界的に見ても希少な存在になります。
各務鑛三
各務クリスタル製作所
ブラッセル万国博覧会グランプリ受賞
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