59|グラスの歴史 日本のグラスメーカー、手造りグラス工場について29
皆さん、こんにちは🎵
先週末は、木本硝子のある東京・台東区をモノづくりでマチを盛り上げる活動、「台東モノマチ」が開催されました、2011年に第1回が始まり、今回は第15回と毎年続いている、有志による自主運営イベントです。台東区南部は、昔から職人の多い街で革小物、帽子、伝統工芸、ジュエリーなどのパーツから加工、デザイン、問屋、箱や箔押などの多種多職種のモノづくりが盛んです、地元の次世代の子供たちに、モノづくりを体験してもらって興味を持ってもらったり、たくさんの皆さんに普段見ることの出来ない工房見学や、ワークショップの体験を通じて、たくさんの皆さんにこのエリアを知っていただき、元気な街にしようという活動です。
10数年続けているうちに、おしゃれなショップやアトリエ、そして飲食店などが増えていき、メディアにも蔵前・御徒町・鳥越などのキーワードが出るようになり、昔は土日なんて人が歩いていなかった寂しい街が、今では土日は子供連れや若いカップルが増え、賑やかになってきました。イベント期間中だけでなく、普段もにぎわうようになり、嬉しいです。
今年は、終わってしまいましたが、来年2025年も5月に開催予定です、ぜひお友達やご家族を誘って、モノづくり体験&下町街歩きを体験楽しんでください。
さて、モノマチの話になってしまうとついつい熱くなってしまいます(笑)
今回も、カメイガラスさんの取り組んでいた、日本のグラス工場のお話をしていきます、前回は青森の北洋硝子でした、今回は山形県鶴岡市にある、松ケ岡ガラス工業、通称松ヶ岡クリスタルをご紹介します。
松ヶ岡ガラス工業は、山形県鶴岡市で1944年(昭和19年)の戦時中に、松ヶ岡航空株式会社として創業し、航空機の計器部品を製造していました。1946年(昭和21年)に現在のグラス工場としての前身となる松ヶ岡工業株式会社に社名を変更し、グラス専門の製造工場として再スタート、漁業用ガラス器具の浮き球や瓶類の製造を始めました。その後、時代の流れとともに1958年(昭和33年)には、自動車照明ガラスのニーズに応え、加工などにも力を注いできました。
1961 年(昭和36年)に、クリスタルガラスの製品化に成功し、グラス食器専業メーカーとなり、市場で評価を受け国内外に幅広く販売していきました。特徴は、プレス成型に特化しており、クリスタルの透明な輝きと、丁寧なものづくりの姿勢です。これが現在の松ヶ岡ガラス工業のスタイルとなっています。今では、カラフルな色ガラスの商品に挑戦しており、一部耐熱ガラスのグラスなどもチャレンジしています。
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