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  • 6月 6, 2023

    13|グラスの歴史 日本のグラス製造その6

    江戸と共に九州薩摩でもグラスの製造がおこなわれておりました、薩摩ガラスは、弘化3年(1846)に加賀久の従弟で江戸・芝源助町の四本亀次郎を、薩摩藩主・島津斎興がガラス工場を開設するにあたり招いたのが始まりになります。 その後、1851年薩摩藩主に就いた島津斉彬が西欧列強に対抗し近代化を推し進める「集成館事業」の一つとして始めました。 透明なクリスタルガラスに色ガラスを被(き)せ、カットすることで「ぼかし」の美しさを堪能できるグラスが作られましたが、斉彬の死後、1863年の薩英戦争で集成館がイギリス軍の艦砲射撃で焼失し、藩政の建て直しのため工場は縮小され、ガラス職人の多くは 江戸に移住して行きました、その後1877年の西南戦争前後に技術は途絶えてしまいしました。 1985年に復刻されて現在にいたります。   薩摩切子と江戸切子の違いについては、別途お伝えいたしますが、 江戸切子は庶民の食器として、幅広く生活の中で使われ江戸時代から現在に至るまで、絶えることなく伝統の技で造り続けられています。一方の薩摩切子は、大名たちの装飾品として使われ、大名への贈り物や篤姫の江戸幕府第13代将軍徳川家定への徳川家への嫁入りの品ともなり、その特徴は色被硝子を使いぼかし技法で造られています。   安政6年(1859)、日米修好通商条約締結により横浜、神戸などの開港とともに、西洋文明が輸入されるようになった、なかでも石油ランプは夜を明るく照らし急速に普及していった。当時の舶来品のうち、石油ランプと石油が最高の輸入額を記録していることからも、その普及率の高さを知ることができる。それまで風鈴や玉などを製造していたガラス業者は、輸入に頼っている石油ランプを見よう見まねで製造するようになり、明治維新直前の慶応2年(1866)には、大阪の久米庄兵衛、伊藤庄三郎らがランプの製法を研究、苦心して造るようになり、東京でも加賀久、上総屋などホヤを製造できるようになり、やがて油壺やバーナーなども国産化できるようになっていきました。   復刻の薩摩切子 明治時代の石油ランプ

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  • 5月 30, 2023

    12|グラスの歴史 日本のグラス製造その5 

    おはようございます♪ 木本硝子のある東京台東区は祭りやイベントが盛んなエリアです、5/20.21は三社祭、 5/26.27.28はモノづくりで街を元気にする台東モノマチ、そして6/10.11は鳥越祭りと 下町の連中はこの時期のために一年働いて、祭りでめっちゃ弾けます。ぜひお出かけください。   江戸時代後期の天保5年(1839年)に、日本橋大伝馬町の硝子問屋加賀屋久兵衛、通称「加賀久」が金剛砂でガラス面に彫刻し、切子細工を施したことから江戸切子発祥と呼ばれております。   もう一人、江戸ガラスの祖と呼ばれているのは、上総屋の在原留三郎は、文政2年(1819)に浅草・南元町(現在の台東区蔵前あたりで木本硝子の側になります)に工場を設け、かんざしや風鈴などを製造・販売していました。さらに文政11年(1828)から天保5年(1834)まで長崎で修行を積み、再び江戸に帰ってかんざしや風鈴などの製造を続けました。   江戸において、ガラス生地を製造・加工していたのは加賀久と上総屋くらいで、一般には種屋といわれ、他のガラス製造業者はその種屋から餅種としてガラスを購入し、これを再溶解して製品化していた。幕末当時、主なガラス製造業者は、福田八十二(浅草総泉寺門前)、伊勢屋儀作(芝神明町新道)、小山清兵衛(芝神明前三島町)、大隈源助(浅草茅町2丁目)であります、いずれも現在の東京浅草あたりの下町で、木本硝子のルーツの場所にも近いです。 また、江戸ではアイヌ玉も造られていて、アイヌの女性には玉類が欠かせない装身具として重宝されていたので、江戸で造られたトンボ玉などが数多く蝦夷地(現在の北海道)に渡ったといわれており、浅草清島町・松前藩の屋敷には王仁というトンボ玉つくりの名人が召抱えられていたという。江戸時代に、ビードロ師またはギャマン師と呼ばれたガラス製造業者は、その製造技術を高く評価され、工場の設立、原料の購入などに格別の便宜を与えられ、 なかには扶持を与えられ帯刀を許される者もありました。   江戸時代が東京でガラス文化と製造が華やかに行われていたことが偲ばれます。   江戸時代 グラス製造図   アイヌ玉とアイヌの装束

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  • 5月 22, 2023

    11|グラスの歴史 日本のグラス製造その4 番外編

    こんにちは、毎回ブログを読んで頂きありがとうございます。 グラス製造が生まれた時代から、海外の製造の歴史と日本の歴史の江戸時代まで書き綴ってきました、感想やご意見など遠慮なく↓↓から送ってください。 楽しみにお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。   今日は、歴史の話では無く唐突ですが、先日見学して感激した、東京ミッドタウン六本木にあるサントリー美術館で4月22日から6月25日開催されている、特別展 吹きガラス 妙なるかたち、技の妙をご紹介したいと思います。 サントリー美術館は、美術館設立と同時に収集活動を開始し、「生活の中の美」を基本理念に、展覧会活動と並行してコレクションの充実を図ってきました。現在では、絵画、陶磁、漆工、染織などの日本の古美術から東西のガラスまで、約3000件の作品を収蔵しています。 特に注目すべきは、グラスのコレクションの素晴らしいことです https://www.suntory.co.jp/sma/collection/gallery/list?code=5 今回の特別展は、特に吹きガラスをテーマにその歴史と技術の紹介ですが、注文すべきは江戸時代のグラス製造の技術の極めて高いことと、その技術から生まれた作品の数々が、説明と共に実際に見られることです。 とくにこちらの藍色ちろりは現在の技術でも再現が難しいものです。   ブログで世界のグラスの歴史や江戸時代のことを読みながら、鑑賞していただけると嬉しいです。 サントリー美術館の場所内容開館時間入場方法などはこちらをご覧ください。 https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2023_2/index.html

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  • 5月 15, 2023

    10|グラスの歴史 日本のグラス製造その3

    こんにちは、こちらのブログも今回で10回目になりました。結構大変かなと思って始めましたが、今のところちょっと書き出すとあれもこれもあったよねって感じで、いろいろ思い出し調べながら書いており、楽しくなってきております・・・いつまでこのテンションが続くかは解りませんが(笑)   大阪では、1751年にポルトガル人からグラスの製法を学んだ播磨屋清兵衛が、大阪市北区天満あたりでグラスの製造を始めております。   それより少し前の、正徳年間(1711~1715)に江戸にグラスの製造が伝えられました。文政13年(1830)発行の 『嬉遊笑覧』によると、「今も浅草に長島屋半兵衛という硝子(びいどろ)氏あり、歳70余なり。 この養父を源之丞といふ。江戸にて硝子(びいどろ)を吹き始めたるはこの者なりといへり。かれこれ考へてみればその始め正徳のころにあらん」とあります。   そして明和7年(1770)刊行の『職人部類』には、当時すでに江戸でガラスが製造されており、ガラス製品の種類も多くなったと記されています。しかし、江戸ガラスの祖といわれているのは、加賀屋の皆川久兵衛と上総屋の在原留三郎です、江戸・日本橋通塩町(現在の日本橋馬喰町辺り)で、金属丸鏡と紐付眼鏡を製造・販売していた加賀屋は、文政年間(1818~1829)にガラス製造を計画して手代の文次郎(のち久兵衛に改名) を大阪に送り、播磨屋から独立した和泉屋嘉兵衛のもとで数年間修行させ、江戸に帰ってガラス製造を行いました。 皆川久兵衛は天保10年(1839)に加賀屋から分家して独立、加賀屋久兵衛、通称「加賀久」と名乗り、大伝馬町に店を構えてガラス製造・販売を始めた。加賀屋久兵衛は、天保5年(1834)に金剛 砂でガラス面に彫刻し、切子細工を工夫したと伝えられている。これが最初の江戸切子と言われており、江戸切子発祥の地となっております。また同じくして、久兵衛は理化学用・医療用ガラス を日本で始めて製造しました。才覚商才とも長けていた日本のガラス発展の祖と言われています。   当時の江戸切子は、現在のような瑠璃や赤の色でなく、透明なグラスに花のような文様を入れたものです。   加賀屋引札 現在のカタログのようなもの 【参考】大正時代の花切子 

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  • 5月 8, 2023

    09|グラスの歴史 日本のグラス製造その2

    皆さんはGWいかが過ごされましたか? 私は久しぶりに乗り鉄で、10数年ぶりに復活した日本の秘境鉄道「只見線」に乗って、絶景をのんびりローカル列車で楽しんで来ました♪   平安時代からしばらく、グラス製造の進化が止まってしまいました、こちらの原因は解かりませんが、混乱の続く時代であったり、文化を楽しむ風潮が違う分野に向いていたりしていたのかもしれません。   ヨーロッパの新しいグラスが日本に紹介されたのは、1549年大内義隆(戦国武将「周防国」(現在の山口県東部)の在庁官人)にポルトガルの宣教師ザビエルが、ガラス器、鏡、めがねなどを贈ってキリスト教布教の許しを求めたことに始まるようです。   海外との交流の結果、多くのガラス製品が輸入され、また、新しいグラスの製法が1570年に南蛮人からそして1630年に中国人から長崎に伝わりました。1751年には、大阪の播磨屋清兵衛がポルトガル人からグラスの製法を学び日本でも盛んにガラスが作られるようになりました。このころの呼び名は「びいどろ」(ポルトガル語)や「ぎやまん」(オランダ語)でした。   現在も、大阪市北区にある大阪天満宮の正門の西側に「大阪ガラス発祥之地」の碑があり、18世紀には大阪でグラスの製造が盛んに行われていました。現在の大阪市北区与力町近辺にはグラス工場や江戸切子などを加工する職人たちが多数おり、海外にも多く輸出されておりました。ちなみにビー玉が国産化されたのは大阪が一番と言われています。   一方江戸では、大阪にグラスが伝わる少し前の正徳年間(1711~1715)にガラス造り の技術が江戸に伝わりました。こちらについては次回のブログでご紹介いたします。   ★時代不詳 イメージになります ★カメイガラスの復刻版です

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  • 5月 1, 2023

    08|グラスの歴史 日本のグラス製造の歴史その1

    こんにちは!あっという間に4月も終わり今年の1/3が過ぎてしまいました、今年新しいチャレンジ皆さん楽しんでいますか? 今からでも、遅くないです。直ぐに始めましょう♪     日本で発見されたもっとも古いガラスは、福岡県筑紫郡の弥生時代の遺跡から出土した、壁と呼ばれる装飾品で、円板形のガラスの中央に丸い穴を開けたものです。このガラスは日本で造られたものでは無く、コンスタンチノーブルのガラス技術が、はるばるシルクロードを通り中国や朝鮮を渡って伝来されたものか、北方ルート、南方海路などを経て日本に伝来したものと考えられています。シルクロードは、グラスロードでもありました。   奈良の正倉院には、出土品でなく伝世品であるため、ガラス本来の輝きが失うことなく, 完全な形で今日まで伝えられております。イタリアのサンマルコ寺院と並ぶ世界的に珍しく貴重なグラスたちです。     正倉院には、このほかにも多くのガラス玉類とともに、おそらく世界最古といわれるガラス処方を記した文書まで残されており、ガラス器以外のガラス玉類は当時の日本で造られていたと考えられます。   残念ながら日本でいつ頃からガラスの製造が始まったのかは、はっきりしませんが飛鳥奈良時代からと、考えられております。平安時代になると、風俗の変化なのでガラス玉の製造が停滞し、600年ほどガラス製造は絶えてしまい、空白の時代になりました。

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  • 4月 24, 2023

    07|グラスの歴史4 世界のグラス製造の歴史

    1781年にフランスのサンルイ社がクリスタルの製造に成功し、鉛クリスタルの製造がはじまりました。鉛クリスタルは製造工程の時に酸化鉛を入れて化学反応を起こすため、いわゆる鉛毒の心配はありません、また当時もいまと同様クリスタルガラスは高価なものであり、王侯貴族階級に使われておりました。一般庶民はソーダ硝子で造られた、いわゆる硝子食器を使っておりました。   19世紀になると、産業革命がガラス・グラス業界にも影響を及ぼしてきました、型吹き成型作業工程を機械で成形することにより、生産効率が上がり大量生産の道が開けてきました。フランスのバカラ、サンルイなどのなどを積極的に進め、品質の向上はもちろん、生産性の向上による価格低下に結びつけることで、クリスタル普及の下地を作りました。   ドイツでは硝子溶解時の熱効率を上げる畜熱室を設置する方法が考案されました、ベルギーでは連続してグラスを溶解するタンク窯が発明され、グラスの生産に飛躍的な進歩をもたらしました。   また鉄道網の発達による物流の進化などが、庶民の生活水準を大幅に上げることにより、家庭の中でグラスが多数使われるようになり。ワイン用アペリティフ・リキュール用など生活の中で使われるグラスのバリエーションが広がってきました。   欧米人のアメリカ移住に伴い、ドイツ・イギリスなどヨーロッパ各地のグラス製造技術を使った、アメリカのグラス工業が盛んになり、これらが世界で現在主流になっているオートメーションによるグラスの製造に繋がっていきます。   アメリカは当時世界有数の機械工業国、大量生産大量諸費に寄ってグラスが一般大衆の生活の中で使われるようになりました。またアメリカでは耐熱グラスの製造技術は世界のトップレベルでした。

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  • 4月 18, 2023

    06|ガラスの歴史3 クリスタルグラスの誕生

    17世紀の終わりごろ、イギリスのラベンスクロフトが鉛を硝子原料に入れた、鉛クリスタルグラスの開発に成功しました。ソーダ灰の代わりに酸化鉛を入れて化学変化をさせて、鉛を無害にした。クリスタルガラスはほぼ無色透明で、美しい輝きを持ったグラスです。 これにより、イギリスのグラス製造技術が注目を浴び、18世紀の終わりには、ウォーターフォードクリスタルなどがクリスタルグラスを製造し、当時のイギリス国王ジョージ3世からも注文を受け、貴族社会で特別な地位の象徴「テータスシンボル」して使われました。   また、同じ17世紀にはボヘミア地方で算出される木灰を原料に入れた、カリクリスタルの製造がはじまりました。カリクリスタルは、水晶にも匹敵する硬度と透明度です、そのため宝石彫刻に用いられる技術を使った繊細な装飾も可能になります。グラスを製造して冷やしてから装飾を施す、コールドワークという技法、とくにグラスを削って装飾するエングレービング(回転する彫刻機を使いガラスを削るカット技術)(江戸切子と同じような技法)を使い、繊細で芸術的な装飾を施したグラスがたくさん生み出され、のちにチェコの国営企業として世界各国に大量にボヘミアクリスタルとして輸出されていくことになります。   フランスでもクリスタルの製造が盛んになり、優秀な品質と技術により高く評価され、ドーム、サンルイ、ラリックなどの有名メーカーが多く生み出されました。   皆さん良くご存じのバカラは、1764年 フランス王ルイ15世により、ロレーヌ地方のバカラ村にガラス工場設立が許可される。1816年にクリスタルグラスの製造を始めた、グラスの製造とカット技術、金彩などの装飾技術がしっかり継承され現代にいたる。1841年には、現在まで続く「アルクール」シリーズが誕生する。 1896年 ロシア皇帝ニコライ2世から特別注文を受けて、ウォッカ用グラスを含む豪華なグラスセットを納入する。 現在はバカラ村ではフランスの技術者の最高峰M.O.F.(フランス最優秀職人章)を持つ職人たちと製造を行っている他、フランス以外でも製造されています。       作成  木本硝子株式会社 KIMOTO GLASS TOKYO 木本誠一  

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  • 4月 10, 2023

    05|ベネチアングラス

    2022/4/10   こんにちは! 入学式のシーズンですね、我々の世代だと桜の木の下でランドセル背負って、写真を入学式の看板の前で撮るのが普通でしたが、今はこの時期葉桜ですね。 温暖化なのか時代・時間の進みが早くなったのか???     ローマ帝国時代のグラスの製造から、大きく飛躍的に技術が発展したのは、イタリアのヴェニスです。13世紀にはヴェニスはヨーロッパのグラス工芸の中心地として発展しました。 なぜグラスの原料も燃やすための燃料も無いヴェニスで発展したのかは諸説がありますが、ヴェネチィア共和国は東方諸国の産品をヨーロッパに伝える東西貿易の中心地で、高価で貴重なグラスを自ら製造することで富を得ようとしたこと、ローマ帝国・イスラムから発展した技術を取り入れたことによるものと考えられます。 グラス製造のムラノ島は、技術の流失やコピー商品の防止のため厳しく出入りが禁止されていました、一方島に住む職人たちとその家族には、厚遇や褒章を与えるとともに、逃げ出すものは厳しく処罰されておりました。その結果、狭いエリアでの製造が進み技術の切磋琢磨・競争により、シャンデリアや高価なグラスが作られるようになりました。   13世紀の終わりごろにはグラスを吹いて作るようになりました、ヴェネチィアグラス(ベネチアングラス)の特徴はエナメルをグラスに塗って焼き付けと金の装飾です。このころからダイヤモンドにより彫刻ができたといわれています。これらは特に貴族が好み、シャンデリアやワイングラスに多用しました。のちにレース・グラスも発明されヴェネチィアグラス(ベネチアングラス)の代表作品になっています。   ルネッサンス期の15.16世紀ごろに、ヴェネチィア共和国は繁栄を究め、その技術はベルサイユ宮殿「鏡の間」で見ることができます、17.18世紀にはヨーロッパ中でヴェネチィアグラス(ベネチアングラス)風のグラスが大流行しました。   ムラノ島には、ヴェニスから水上バスで10分程度、現在も数多くのグラス工房があり、見学やショッピングも可能です。ガラス博物館はヴェネチィアグラス(ベネチアングラス)だけでなく世界のグラスや歴史を見ることができるので必見です、お土産物にはベネチアングラス以外のものが多く、ムラノ島以外で造っているもの多数あります。ムラノ製のベネチアングラスにはMade in Muranoの表示があるので注意してご購入ください。   皆様からご意見や感想を頂いております。ありがとうございます。 ガラスという表記からグラスという表記に変えました   木本硝子株式会社/KIMOTO GLASS TOKYO 木本誠一

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