22|グラスの歴史 木本硝子のチャレンジとグラス製造のお話5
こんにちは、私はかなりへそ曲がりの性格で、他の人と同じことを集団ですることが苦手です。小学校のころは巨人・大鵬・卵焼きと人気の時代でした、クラス全員が巨人の帽子をかぶって遠足などに行くときも、私だけ別の帽子をかぶって行き、他の子供たちにいじめられ(笑)先生にも協調性が無い異常傾向といじめられておりました。 そんなときも親父はいつも笑って、私をかばってくれました。彼は戦中派で全員玉砕、火の玉決戦と太平洋戦争中は、国民みんな同じ行動をとるのを冷ややかな視線で見ていたようです、戦時中なので行動を変えることはできなかったようですが、やはり異端児だったようですね(笑)、今の時代で言うと赤信号みんなで渡れば怖くない、茹でガエルのことばになると思います。 そんな少年時代を過ごしていたので、他の人と違うことをすることに違和感はないですし、すぐに動く行動することは厭わないです。いまは変態と称しておりますが、胸を張って変態を楽しんでおります。また変態は変態の友を呼び更に変態が進化していきます。 変態は性的な行動ではありませんよ(笑)ダーウィンの進化論でも、大きく強いものが残るのではなく、環境変化に対応できる、変態できるものが生き残ると説いております。正しく、今の時代も同じです、時代の変化をかぎ取り、即行動する、失敗や失敗しそうになったら即ストップするか、方向転換します、失敗しても経験・コンテンツは残ります。やるかやらないかはゼロとイチではありません、ゼロと無限大の差と私は思っています。 木本硝子に入った当時は、百貨店全盛時代でメーカーも問屋もみんな百貨店に目が向いていました、私が当時スーパーのジャスコ(現在のイオン)と取引を始めたときに、業界のみんなは木本硝子も息子が入って、スーパーと取引を始めるなんて、親父の時代はしっかりしていたのに、木本硝子も落ちぶれたなと冷笑していました。 時代は変わります、お客様も生産体系も変われば当然流通も変わります、だれもやらないマーケットに他に先んじてチャレンジしたおかげで、現在も木本硝子は生き残ってます。