58|グラスの歴史 日本のグラスメーカー、手造りグラス工場について28
皆さん、こんにちは🎵 日本のグラスメーカーの紹介をして居りますが、カメイガラスが問屋のポジションでありながら、自社でブランドとデザインを展開して、国内外のグラスメーカーとチームを組んで、グラスの新しい世界を作り上げ、マーケットを拡大していきました。 木本硝子もカメイガラスの商品群や調達ルートを活用して、国内外のグラスメーカー様と取り組み、イオングループをはじめ伊勢丹・三越・高島屋様などへグラスを販売しておりました、そんな思いから、日本のグラスメーカーもカメイガラスの取り組みと合わせながら、ご紹介していきたいと思います。 先ずは青森の北洋硝子です、大手グラスメーカーのアデリアの項目でも説明し、現在は石塚硝子の子会社になっておりますが、カメイガラス全盛期は、北洋硝子で造り上げた津軽びいどろが、百貨店や専門店でたくさん販売されていました。 「津軽びいどろ」を生産する北洋硝子の始まりは1949年、漁業用の浮玉(うきだま)製造からでした。当時は他にも浮玉を製造する工場がありましたが、北洋硝子の吹き上げる浮玉は他に比べ丈夫である、という確かな品質の評価を得て、1973年には国内トップの生産高となりました。その後、浮玉がプラスチック製に切り替わったことから、長年の浮玉製造で培った「宙吹き」の技法を用いて大ぶりな花器などの生産を始めました、秋村実などの作家によって数々の色遣いの鮮やかで大ぶりな花瓶などが吹きあげられました。 青森という交通が不便な地理的条件もあり、色ガラス等の原料も自社で調合して補ってきました。青森にたくさんある海岸のなかで、一際美しい砂浜と緑豊かな自然が続く七里長浜。あるとき職人がふと思いついて、その七里長浜のひと握りの砂を原料として加えたところ、そのガラスは、えも言われぬ深みのある緑へと色を変えました。 その成形技術と色ガラスを掛け合わせた工芸品として、1977年に食器や花器などで構成された『津軽びいどろ』が誕生しました。職人たちは技術開発にも力を注ぎ、美しい色ガラスの調合や、高い技術を要する技法もほぼ独学で習得するなど、常に新しい技へのたゆまない努力を続けています。 これらのグラスや花瓶のデザインや販売をしていたのが、カメイガラスです。カメイガラス倒産後は、石塚硝子の子会社となり、吹きガラスだけでなくスピン成形のグラスや、圧迫成型の徳利/醤油さし/花瓶なども生産するようになり、現在では青森県の伝統工芸品の指定を受け、青森県内のホテルレストランやお土産物などて販売されている人気商品です。